2021年05月30日
万歳峠
誕生祝いに本を3冊もらった。この中に「忘れられた日本人」(宮本常一著)が入っていた。文庫本なので手に取りやすく、これから読み始めた。
渋沢栄一の孫が学者をやっていたなどの記述もある。
起床後の定例行事の中に、この本を読む時間を入れてから、ページが進むようになった。暇な時に読もうというのでは、お金が余ったら貯金をしようというのと同じで、ほぼダメである。
起床後の定例行事というのは、体重、血圧、体温(先年久しぶりに夏風邪を引いた際平熱が分からなくて以来測るようになった)測定にはじまって、色々あって、2時間では足りないのだが、それでも、これに読書の時間を入れることにした。
まだはじめの方だが、名倉(場所によって納庫)の万歳峠のことが載っていた。北設楽郡田口を過ぎるとS字カーブが連続する峠道、その先に名倉高原がある。本によると、万歳峠は出征兵士を見送ったところという。Wikipediaによると田口鉄道は昭和7年12月22日 に清崎と三河田口間開業とあるので、これ以降出征兵士は三河田口駅から招集地に向かったのではないだろうか。
三河田口駅は設楽ダム工事が着手されてからだが一度見に行った。駅舎は田口のまちを走る国道から外れて西の方に下がっていった川沿いにあった。使われなくなって久しく、蔦に覆われ、横には清流。ここはダム堰堤付近と聞いたが、すると、水没予定地。その後、ここから多くの出征兵士が出立したと、地元紙で読んだ。
万歳峠は、峠の茶屋という食事処(2、3年前に閉店)があったあたりではないかと思うが、その先にペンション併設のミルクという食事処がある。平成28年6月のことだからもう5年にもなるのだが、昼食にと車を止めたら猫が近寄ってきた。とても人懐こい。店に入って聞くと、連休の後くらいからいる様になった、人に慣れているので飼われていたのではなかろうか、車に乗せられてきて出てしまったのか、ともかくそれからずっとここにいる、気に入ったら連れて行っても良い、ということだった。これだけ人に慣れていれば流石に飼いやすい、とは思ったが、これから足助、豊田、知立、刈谷・・・と長時間かかるし、とても今日は無理、と猫を見ながらお別れした。後でまた店によって聞いたら、この先の道の駅あたりの人に貰われていって、寝る時も畑に出る時もおじいさんと一緒、と聞いて、まずは良かった、一安心。その後、道の駅を過ぎたあたりで、それらしい古老とあの薄茶色の猫を見かけたことがある。確かに、一緒に畑に向かっている様子だった。
道を行くと、こうして色々なことを知り、ふと思い浮かべながら走ることになる。出征というのは、万歳とは言いながらも今となってはやはり悲しい思い出だろうし、あの猫は楽しい思い出。一人で運転していると、色々なことが浮かんでは消えていく。まさに徒然草、ほど高尚ではないが、我流徒然草街道、といっていいかもしれない。
渋沢栄一の孫が学者をやっていたなどの記述もある。
起床後の定例行事の中に、この本を読む時間を入れてから、ページが進むようになった。暇な時に読もうというのでは、お金が余ったら貯金をしようというのと同じで、ほぼダメである。
起床後の定例行事というのは、体重、血圧、体温(先年久しぶりに夏風邪を引いた際平熱が分からなくて以来測るようになった)測定にはじまって、色々あって、2時間では足りないのだが、それでも、これに読書の時間を入れることにした。
まだはじめの方だが、名倉(場所によって納庫)の万歳峠のことが載っていた。北設楽郡田口を過ぎるとS字カーブが連続する峠道、その先に名倉高原がある。本によると、万歳峠は出征兵士を見送ったところという。Wikipediaによると田口鉄道は昭和7年12月22日 に清崎と三河田口間開業とあるので、これ以降出征兵士は三河田口駅から招集地に向かったのではないだろうか。
三河田口駅は設楽ダム工事が着手されてからだが一度見に行った。駅舎は田口のまちを走る国道から外れて西の方に下がっていった川沿いにあった。使われなくなって久しく、蔦に覆われ、横には清流。ここはダム堰堤付近と聞いたが、すると、水没予定地。その後、ここから多くの出征兵士が出立したと、地元紙で読んだ。
万歳峠は、峠の茶屋という食事処(2、3年前に閉店)があったあたりではないかと思うが、その先にペンション併設のミルクという食事処がある。平成28年6月のことだからもう5年にもなるのだが、昼食にと車を止めたら猫が近寄ってきた。とても人懐こい。店に入って聞くと、連休の後くらいからいる様になった、人に慣れているので飼われていたのではなかろうか、車に乗せられてきて出てしまったのか、ともかくそれからずっとここにいる、気に入ったら連れて行っても良い、ということだった。これだけ人に慣れていれば流石に飼いやすい、とは思ったが、これから足助、豊田、知立、刈谷・・・と長時間かかるし、とても今日は無理、と猫を見ながらお別れした。後でまた店によって聞いたら、この先の道の駅あたりの人に貰われていって、寝る時も畑に出る時もおじいさんと一緒、と聞いて、まずは良かった、一安心。その後、道の駅を過ぎたあたりで、それらしい古老とあの薄茶色の猫を見かけたことがある。確かに、一緒に畑に向かっている様子だった。
道を行くと、こうして色々なことを知り、ふと思い浮かべながら走ることになる。出征というのは、万歳とは言いながらも今となってはやはり悲しい思い出だろうし、あの猫は楽しい思い出。一人で運転していると、色々なことが浮かんでは消えていく。まさに徒然草、ほど高尚ではないが、我流徒然草街道、といっていいかもしれない。
Posted by 青山拓水 at 19:06│Comments(0)
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