2018年12月02日
FV関数
年金終価値係数というのがある。毎回の積立額、利率、積立期間から、複利運用した結果を求めるのに使う。利率と期間を両軸にした表になっている。FV関数で同じ結果が得られることが分かって、この表を使わなくても良くなった。
だが、注意すべき事がある。
つみたてNISAやiDeCoは毎月積立で利率は年利である。毎月◯円を積立して年◯%だといくらになるか、という計算をすることになる。FV関数を使い、毎月積立なので年利を12で割って月利にし、積立回数は年を月にするのでこちらは12倍して計算すればよい、かというと、早合点である。年利は付利が年1回、月利は毎月、この違いは、利率を上げたり積立額を増やすにつれて大きくなる。
あるファンドのサイトでは、毎月の積立額と年利、期間(年単位)を入れると概算が出る。この結果とFV関数で月利計算をした結果を何通りかやってみたが、サイトは万円単位なので金利が低いうちは誤差が現れなかったものの、金利を上げるほど、FV関数の方が万円単位を超えて、それもかなり大きなってきた。月利と年利の違いである。
FV関数は積立の時期を期首か期末か指定できる。期首の方が運用期間が長いので、結果は大きくなる。期末としても、金利が高くなれば参照したサイトの結果よりは大きくなる。
積立額の推移を見ると、毎月積立は増えている。毎月の積立額を12倍して年間額を出し、これを2で割ると、年間額の平均が出る。これでFV関数を使って年利計算すると、期首積立>参照したサイトの額>期末積立の順となった。FV関数で単純に月利計算した場合より、ましな結果である。また、期首と期末の額の平均額は、サイトの結果とかなり近くなった。
今更ながら、FV関数、付利単位に注意すべしと自覚した次第である。
だが、注意すべき事がある。
つみたてNISAやiDeCoは毎月積立で利率は年利である。毎月◯円を積立して年◯%だといくらになるか、という計算をすることになる。FV関数を使い、毎月積立なので年利を12で割って月利にし、積立回数は年を月にするのでこちらは12倍して計算すればよい、かというと、早合点である。年利は付利が年1回、月利は毎月、この違いは、利率を上げたり積立額を増やすにつれて大きくなる。
あるファンドのサイトでは、毎月の積立額と年利、期間(年単位)を入れると概算が出る。この結果とFV関数で月利計算をした結果を何通りかやってみたが、サイトは万円単位なので金利が低いうちは誤差が現れなかったものの、金利を上げるほど、FV関数の方が万円単位を超えて、それもかなり大きなってきた。月利と年利の違いである。
FV関数は積立の時期を期首か期末か指定できる。期首の方が運用期間が長いので、結果は大きくなる。期末としても、金利が高くなれば参照したサイトの結果よりは大きくなる。
積立額の推移を見ると、毎月積立は増えている。毎月の積立額を12倍して年間額を出し、これを2で割ると、年間額の平均が出る。これでFV関数を使って年利計算すると、期首積立>参照したサイトの額>期末積立の順となった。FV関数で単純に月利計算した場合より、ましな結果である。また、期首と期末の額の平均額は、サイトの結果とかなり近くなった。
今更ながら、FV関数、付利単位に注意すべしと自覚した次第である。
2018年12月02日
ボヘミアン・ラプソディー
遅ればせながら「カメラを止めるな!」をようやく見た。話題になっているので興味はあったものの、豊川でやってなく、豊橋ユナイテッド・シネマならやっていて、豊橋に30年近く住んでいたのでよく行った映画館だが、今はイオンシネマ豊川まで車で数分、ちと遠いし、ゾンビ映画と知って、ホラーは特に苦手、足が遠のいていたのだが、この間、たまたまイオン豊川の上映スケジュールを見たら、ここでやっているのを知って、それも夜9時からの1回だけ、まもなく終わりか、というので、重い腰が動いた。
映画は作り方次第でいかようにも面白くなる、と思った。ことに最後の場面は、グレンフォードの、題名は思い出せないが、最後に静止画になってカメラがぐんぐん引いていく場面なんかを思い出して、終わりよければすべてよしの良くできた映画、と感じ入った。
1週あけて今度は「ボヘミアン・ラプソディー」。予告編が迫力満点、これはライブエイドのシーンだったのだが、映画を見て、なんと、後でYouTubeで見た実際の映像よりも迫力があった。音楽映画は久々、相当前に「シカゴ」を見たきり。善き考え、善き言葉、善き行い、確かこんな言葉であったが、父と想いを同じくした場面でグッときた。音楽映画だし、これは余分だ、という評もあったが、聖書に手を置いて大統領が宣誓する、恐るべきキリスト教国の映画である。宗教色抜きでは、この映画も語れないだろう。サイトを巡っていたら、牧師と思われる人の記事に出会った(「現代の「放蕩息子」が「HOME」に帰還する物語 映画「ボヘミアン・ラプソディ」」)。
中西部の広大な大地をツアーバスが走る。アメリカは大陸だ。30年以上も前のことだが、ロサンゼルス空港から成田に着いて名古屋までの乗り継ぎで待合室に入って、あまりの狭さに、すし詰めという語を思った。ロスの空港は椅子も大きかったし、椅子と椅子の間が空いていた。こちらは椅子は小さいし隙間もなくぎゅうぎゅう詰め。ロスはターミナルがたくさんあるが、これ一つで成田分あるんじゃないか、と思った。その後海浜幕張に行った。まだオフィスビルやホテルが建ち始めた頃で、ビルとビルの間が広く空いていて、おお、いかにもアメリカ風につくっている、と思って聞いたら、まだ進出企業が少なくて、こうなっているんです、いずれあの間にもビルが建ちます、ということだった。この間「海浜」のつかない「幕張」まで行って海浜幕張方面を遠望したが、どうなっているんだろう。ちなみに、この辺りから放送しているbayfmがたまたま入って聞いていたら、なかなか良い感じであった。センスがいい。流石に違うわい、と思って後日また行く機会があってチャンネルを合わせたのだが、今度はそれほどでもなかった。
土地が広いというのは絶大な力で、島国はいくらお金を積んでも太刀打ちできない。30年以上前に10日ほどロスにいて思ったことだ。ハリウッド映画のスケールが大きいのは、こういう土地柄もある。エコノミックアニマルと言われようと、独楽鼠のようにちょこまか働かなければ、人口密度の高い島国は大陸にはかなわないのだ。そんなに働かなくたって生活できる、そういう余裕が大陸にはある。
とはいえ、舞の海は強かったし、大小と出来不出来は連動しない。大作必ずしも優秀とは限らず、なのだが、「ボヘミアン・ラプソディー」はスケールの大きい秀作であった。
ロックには惹かれず、クイーンのことも名前くらいしか知らなかったので、世界がその分広がった気がする。
「ボヘミアン・ラプソディー」は昼間見たので、BSで録画しておいた「キネマの天地」を夜見た。見ていたら多分前にも見た、と気がついた。見ていたことを忘れて、惹かれてまた録画したのだった。それもよし、2度目の方が鑑賞が深まる(だろう)。中井貴一も誰も彼も若い。
先週は「旅猫リポート」。ポスターにも予告編にもあまり興味は湧かなかったが、夜7時少し前からの上映で、夜はことに働かずに無為徒食の時間なので、映画ならまだマシな過ごし方、と言い訳じみたことも頭をよぎり、映画館に向かった。予想を裏切り、涙まで滲んできた。言葉で惑わされる人間と違って動物はまさに直感で行動している。正直だ。言うことが正鵠を得ている。正しい導師。語りが高畑充希。うまい。昔飼っていた犬のことが思われた。
映画のことやら色々思いに耽っていたら、ふと「さすらい人の子守唄」と言う歌が浮かんできた。10代半ばに聞いていた時は、メロディーがいいくらいに思っていたと思うが、今聞いてみると、中々心に深く響く歌詞だ。ググっていたら、なんと、北山修の同名の本が角川から出ていることが分かった。「戦争を知らない子供たち」と言う文庫本もあった。びっくりして図書館で探したら、豊川にはなかったが、豊橋にあったので、予約してさっき借りてきた。歌と同名の本があるとは、露知らず。北山修という人も、迂闊にもよく知らなかったことが分かった。
少年老い易く学成り難し、学というものには遠く及ばないが、知りたいことは山ほどあっても、朝が来たかと思うとすぐ夕方になってしまい、特のこの時期は早く暗くなる。「白頭掻いて 更に短かし」こんな漢詩があった。地球は1年で太陽の周りを一周、1日で一回り、きっとすごいスピードだろう。地上にいるとそれに気がつかないが、きっと、ものすごい速さで人生も過ぎているのだ。
映画は作り方次第でいかようにも面白くなる、と思った。ことに最後の場面は、グレンフォードの、題名は思い出せないが、最後に静止画になってカメラがぐんぐん引いていく場面なんかを思い出して、終わりよければすべてよしの良くできた映画、と感じ入った。
1週あけて今度は「ボヘミアン・ラプソディー」。予告編が迫力満点、これはライブエイドのシーンだったのだが、映画を見て、なんと、後でYouTubeで見た実際の映像よりも迫力があった。音楽映画は久々、相当前に「シカゴ」を見たきり。善き考え、善き言葉、善き行い、確かこんな言葉であったが、父と想いを同じくした場面でグッときた。音楽映画だし、これは余分だ、という評もあったが、聖書に手を置いて大統領が宣誓する、恐るべきキリスト教国の映画である。宗教色抜きでは、この映画も語れないだろう。サイトを巡っていたら、牧師と思われる人の記事に出会った(「現代の「放蕩息子」が「HOME」に帰還する物語 映画「ボヘミアン・ラプソディ」」)。
中西部の広大な大地をツアーバスが走る。アメリカは大陸だ。30年以上も前のことだが、ロサンゼルス空港から成田に着いて名古屋までの乗り継ぎで待合室に入って、あまりの狭さに、すし詰めという語を思った。ロスの空港は椅子も大きかったし、椅子と椅子の間が空いていた。こちらは椅子は小さいし隙間もなくぎゅうぎゅう詰め。ロスはターミナルがたくさんあるが、これ一つで成田分あるんじゃないか、と思った。その後海浜幕張に行った。まだオフィスビルやホテルが建ち始めた頃で、ビルとビルの間が広く空いていて、おお、いかにもアメリカ風につくっている、と思って聞いたら、まだ進出企業が少なくて、こうなっているんです、いずれあの間にもビルが建ちます、ということだった。この間「海浜」のつかない「幕張」まで行って海浜幕張方面を遠望したが、どうなっているんだろう。ちなみに、この辺りから放送しているbayfmがたまたま入って聞いていたら、なかなか良い感じであった。センスがいい。流石に違うわい、と思って後日また行く機会があってチャンネルを合わせたのだが、今度はそれほどでもなかった。
土地が広いというのは絶大な力で、島国はいくらお金を積んでも太刀打ちできない。30年以上前に10日ほどロスにいて思ったことだ。ハリウッド映画のスケールが大きいのは、こういう土地柄もある。エコノミックアニマルと言われようと、独楽鼠のようにちょこまか働かなければ、人口密度の高い島国は大陸にはかなわないのだ。そんなに働かなくたって生活できる、そういう余裕が大陸にはある。
とはいえ、舞の海は強かったし、大小と出来不出来は連動しない。大作必ずしも優秀とは限らず、なのだが、「ボヘミアン・ラプソディー」はスケールの大きい秀作であった。
ロックには惹かれず、クイーンのことも名前くらいしか知らなかったので、世界がその分広がった気がする。
「ボヘミアン・ラプソディー」は昼間見たので、BSで録画しておいた「キネマの天地」を夜見た。見ていたら多分前にも見た、と気がついた。見ていたことを忘れて、惹かれてまた録画したのだった。それもよし、2度目の方が鑑賞が深まる(だろう)。中井貴一も誰も彼も若い。
先週は「旅猫リポート」。ポスターにも予告編にもあまり興味は湧かなかったが、夜7時少し前からの上映で、夜はことに働かずに無為徒食の時間なので、映画ならまだマシな過ごし方、と言い訳じみたことも頭をよぎり、映画館に向かった。予想を裏切り、涙まで滲んできた。言葉で惑わされる人間と違って動物はまさに直感で行動している。正直だ。言うことが正鵠を得ている。正しい導師。語りが高畑充希。うまい。昔飼っていた犬のことが思われた。
映画のことやら色々思いに耽っていたら、ふと「さすらい人の子守唄」と言う歌が浮かんできた。10代半ばに聞いていた時は、メロディーがいいくらいに思っていたと思うが、今聞いてみると、中々心に深く響く歌詞だ。ググっていたら、なんと、北山修の同名の本が角川から出ていることが分かった。「戦争を知らない子供たち」と言う文庫本もあった。びっくりして図書館で探したら、豊川にはなかったが、豊橋にあったので、予約してさっき借りてきた。歌と同名の本があるとは、露知らず。北山修という人も、迂闊にもよく知らなかったことが分かった。
少年老い易く学成り難し、学というものには遠く及ばないが、知りたいことは山ほどあっても、朝が来たかと思うとすぐ夕方になってしまい、特のこの時期は早く暗くなる。「白頭掻いて 更に短かし」こんな漢詩があった。地球は1年で太陽の周りを一周、1日で一回り、きっとすごいスピードだろう。地上にいるとそれに気がつかないが、きっと、ものすごい速さで人生も過ぎているのだ。